撮れ高の外側

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平日の午前十時、梨沙は編集室のモニターに映る柴犬のムギを三秒だけ巻き戻した。

派手な赤いマントを着せられたムギの前で、箱から玩具が飛び出す。ムギは肩をすくめるように身を引き、それから十数秒かけて壁際まで後退した。扉を探すように首を動かし、鼻を舐め、カメラから顔を背ける。

梨沙はその部分を削った。玩具が飛び出す瞬間と、ムギが目を見開いた瞬間をつなぎ、効果音を重ねる。驚いた顔を二度繰り返し、画面の中央に「びっくりしたワン!」という字幕を置いた。

「そこ、舌ぺろ残して」

背後から社長がモニターをのぞき込んだ。

「でも、その前から出口を探しているように見えます」

「前を切ればいいよ。おやつを期待してるみたいで可愛いから」

梨沙はタイムライン上の切れ目を一秒だけ戻した。舌なめずりだけが一瞬映り、その前の後退は消えた。

これも編集の仕事だ。長く仕事が見つからなかった自分を、ようやく雇ってくれた会社なのだ。そう言い聞かせて、梨沙は書き出しのボタンを押した。

完成した動画の中で、ムギは撮影を楽しんでいるように見えた。

同日の午後三時、会議スペースの大型画面では再生数が更新されるたびに桁を増やしていた。

「半日もたたずに前回超えだ」

社長が好意的なコメントを読み上げ、現場ディレクターが笑った。

「高橋さんの編集がいいんですよ。間がないから」

「そう。嫌がってるように見えるところを切ったからテンポがいい」

梨沙は褒められた安堵を感じ、その直後に胸が詰まった。数字は、削った十数秒の上で伸びていた。

社長は机を指でたたいた。

「明日から生配信を増やそう。視聴者を呼んで、直接触れ合ってもらう」

「生だと、ムギが離れたがったときに切れません」

梨沙はなるべく提案に聞こえる声で言った。

「現場でうまく誘導する。高橋さんは数秒の遅延を入れて、何かあったときの差し替え素材を用意して」

現場ディレクターはすでに予定表を開いていた。梨沙はそれ以上言えず、短い待機映像を作るため席へ戻った。

翌日の午後一時、スタジオの照明が点灯すると、衣装を着せられたムギは隅へ下がった。

配信卓のモニターには、画面の外へ寄っていく背中が映っていた。飼育担当スタッフが呼んでも、ムギは顔を背けた。

「開始、少し遅らせられませんか」

梨沙がインカムで言うと、現場ディレクターが首を振った。

「もう視聴者が待ってる。中央へ戻して」

カウントがゼロになり、歓声の音源が流れた。ムギは跳ねるように身を縮め、出口へ向かった。現場ディレクターが手を回すと、スタッフたちが半円状に立って進路を塞いだ。ムギは足を止め、低く身を引いた。

参加者の女性は、事前の指示どおり膝を曲げた。

「手を見せてあげてください」

差し出された手が近づく。ムギはさらに身を引いたが、後ろにはスタッフの脚が並んでいた。次の瞬間、ムギの口が袖を捉えた。布の裂ける音がマイクに入った。

梨沙は反射的に差し替えボタンを押した。画面が番組ロゴに変わり、配信停止の表示が出る。

女性の腕に傷はなかった。裂けた袖を押さえ、何が起きたのか分からない顔で立っていた。ムギはスタッフから離れようと、壁に沿って歩き続けていた。

午後二時、編集室へ戻ると、社長は事故映像の開始位置を指定した。

「ここ。参加者が手を出す直前から」

「その前に、ムギが出口へ行こうとしていました」

「そこは使わない。字幕は『突然、乱暴に触ろうとしたため』で」

梨沙の指がキーボードから離れた。

「参加者は指示に従っただけです。囲んだところを入れないと、原因が違って見えます」

社長は椅子の背に手を置いた。

「会社の管理が悪かったように見せたいの? 番組が終われば、編集の仕事もなくなるよ」

現場ディレクターは黙ったまま事故映像を見ていた。

「高橋さん、次の契約更新、もうすぐだったよね」

長く届かなかった採用通知、減っていく貯金、面接で言葉に詰まった記憶が一度に浮かんだ。梨沙は再生位置を参加者の手の直前まで動かした。

だが、「乱暴に」という字幕を入力して確定することができなかった。画面の中では、切り取られた手だけがムギへ伸びていた。

午後七時、社員が帰り始めても、梨沙は編集室に残った。

前後関係を確認するためだと自分に言い訳し、共有サーバーから未編集素材を開いた。今日の事故映像を巻き戻す。照明がつく前から、ムギは扉へ向かっていた。

さらに一週間前、一か月前、三か月前の素材を並べる。

衣装を見せられたムギが机の下へ入る。スタッフが引き出す。照明が点灯すると顔を背ける。歓声が上がるたびに鼻を舐め、画面の外へ距離を取る。

その直後には、いつも編集点があった。梨沙自身が打った印だった。

完成動画を隣に並べると、机の下へ入ったムギは次の瞬間には衣装を着て中央に座り、逃げようとしたムギは驚いた表情だけを繰り返していた。

梨沙は自分の手を見た。

命じられただけではない。短くすれば褒められた。再生数が伸びれば、ここにいてよいと思えた。だから、ムギが離れようとした時間を、使えない間として削り続けた。

今日の説明動画だけを正しく作っても、明日またムギは同じ場所へ連れてこられる。そう分かったとき、編集室の扉が開いた。

午後八時、戻ってきた社長は、説明動画を取りやめると言った。

「明日の朝、謝罪生配信にする。今、注目が集まってるから」

スタジオでは現場ディレクターが同じ照明を立て、衣装をハンガーに掛けていた。飼育担当スタッフの端末には、ムギを朝一番に連れてくるよう求めるメッセージが届いていた。

「ムギも出すんですか」

「本当はおとなしいって見せる。触れ合ってるところを流せば安心するだろ」

「今日、逃げ場を塞がれたばかりです。出さないでください」

「説明動画も終わってないのに、今度は配信を止めるの? 予約設定して。九時開始」

梨沙は配信管理画面を開いた。指示どおり時刻を入力しながら、別の画面で未編集素材を複製した。ムギを囲むよう命じた現場の連絡、事故後の編集指示、過去の素材と編集履歴。保存先を会社の共有サーバーではない場所に指定する。

予約完了の表示が出た。配信開始まで、十三時間だった。

翌朝八時半、梨沙が配信卓へ入ると、スタジオにはすでにムギがいた。

飼育担当スタッフが衣装を広げた途端、ムギは後ずさりし、椅子の陰へ体を寄せた。

「あと三十分。急いで着せて」

社長の声が飛ぶ。現場ディレクターがスタッフを呼び集めた。

梨沙は管理画面を開き、予約解除を選んだ。確認画面が現れる。

本当に解除しますか。

手が震えた。次の契約更新という言葉がよみがえった。それでも、椅子の陰から出まいと踏ん張るムギを見て、梨沙は確定を押した。続けて公開予定の告知も停止した。

保存していた素材と指示の記録を、自治体の動物関係の窓口へ送信する。撮影時にムギの退路を塞いでいること、拒絶反応が続いていること、今朝もムギを出演させようとしていることを書いた。自分がそれらの映像を削ってきた編集担当者であることも記した。

「何をした?」

解除通知を見た社長が配信卓へ来た。

「予約を止めました。素材と指示を自治体へ送りました」

「会社のデータを勝手に?」

「私が、ムギの嫌がるところを削ってきました。だから楽しんでいるように見えた。でも、これ以上ムギを出す配信には協力できません」

社長が言い返す前に電話が鳴った。状況確認を求める自治体の窓口からだった。

配信は開始できなくなった。社長は現場ディレクターへ番組の一時休止を告げ、確認が済むまでムギを出演させないよう命じた。衣装を持っていた手が下がると、ムギは椅子の陰から離れ、飼育担当スタッフの後ろへ距離を取った。

午前十時、社内確認が始まって約一時間後、梨沙は事務室で社長と向き合った。

「撮影と編集から外れてもらう。命令違反にデータの外部提出だ。契約は失うと思って」

梨沙の膝は震えていた。仕事を失った後の予定は何もない。

「分かりました」

「自分だけ正しいつもり?」

梨沙は首を横に振った。

「提出した素材には、私の編集履歴も残っています。拒絶しているところを消して、番組を支えたのは私です」

謝れば取り消せるかもしれない、という考えが一瞬浮かんだ。だが、梨沙は私物を鞄に入れ、会社の機材と入館証を机に置いた。

建物の外へ出ると、冷たい空気が喉を通った。仕事がなくなる恐怖は、少しも消えていなかった。

それでも梨沙は、画面の外へ後退するムギや、顔を背けて鼻を舐めるムギを思った。数字のために削ってきたものを、今日初めて拒絶として扱えた。

次の職場を探すときは、自分が何を隠してきたかも話そう。採用される自信はなかったが、そう決めた自分の判断まで疑う必要はない気がした。

梨沙は久しぶりに胸を開き、外の空気を深く吸った。

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