七月初旬、梅雨明け直後の朝、校庭にはもう白い日差しが照りつけていた。朝会の壇上で校長は、水不足で学校の水道料金が急に増えていると説明した。
「一か月以内に、菜園で使う水道水を半分にできなければ、秋には畑を舗装します」
列の中で、太陽は思わず拳を握った。六年生の自分たちが育てているナスやトマトは、夏休み前の給食に出る予定だった。卒業したあとも、畑を後輩に残したいと思っていた。
朝会のあと、太陽は佐伯先生と校舎裏の菜園へ行った。乾いた土は指を差し込むと熱く、トマトの葉は端が丸まりかけていた。
「先生、ぼくが水をなんとかします。畑は絶対につぶさせません」
佐伯先生はうなずいたものの、「気持ちだけでなく、使った量をきちんと示さないとね」と言った。そのとき金網の向こうでは、隣接する高齢者農園の人たちがホースで水をまいていた。太陽には、太い水の筋がひどくぜいたくなものに見えた。
同じ日の夕方、太陽は二つの農園の境にある共用水栓で、礼子を待ち受けた。七十三歳の礼子は、高齢者農園の代表で、フレンチブルドッグの文太を連れていた。
「そっち、水を使いすぎじゃないですか。学校の畑がなくなるんです。大人なら、こっちに譲ってください」
礼子は水栓を閉め、ホースの先から落ちる最後のしずくを見届けた。「私たちも朝夕だけにして、枯れやすい株から水をやっているの。遊びでまいているわけじゃないわ」
「でも、今日もたくさん使ってた」
「量を測ったの?」と礼子は聞いた。「根拠もなく相手を責めても、水は一滴も増えないわよ」
太陽は言い返せず、顔を熱くしたまま立ち去った。背後で文太が短く鼻を鳴らし、礼子も反対側の畑へ戻っていった。限られた水をどちらが譲るか、二人の間には金網より固い境目ができた。
数日後の夕方、短い夕立が学校の屋根を激しくたたいた。雨はすぐに上がったが、空気は湯気のように蒸し暑かった。
体育倉庫裏を通りかかった太陽は、礼子に引かれていた文太が急に進路を変えるのを見た。文太は雨どい脇の湿った土へ駆け寄り、平たい顔を前へ突き出して、冷えた地面に腹をぺたりとつけた。
「文太、帰るわよ」
礼子がリードを引いても、文太は四本の脚を踏ん張って動かない。太陽がしゃがむと、雨がやんだあとも土の下から水がしみ出し、細い流れとなって排水溝へ落ち続けていた。
二人で雨どいの根元を確かめると、雨どいと排水管をつなぐ接続管が割れていた。屋根から集まった雨水の多くが、地中と排水溝へ逃げていたのだ。
「こんなに捨ててたのか」
礼子は校舎の屋根を見上げた。「屋根の面積に降った雨が、ここへ集まるのよ。短い夕立でも、計算すればかなりの量になるはず」
太陽は冷たい泥に触れた。奪い合っていた蛇口の水とは別に、使われないまま流れている水があった。
翌日の放課後、太陽は学校図書室の机に、自由研究のノートを広げた。毎朝測っていた降水量が、日付ごとに細かく記録されていた。
礼子は元設備技師だった。太陽の記録を見ながら校舎の屋根面積を確かめ、体育倉庫裏では配管の太さや勾配を測った。文太は日陰に座り、巻き尺が伸びるたびに首を傾けた。
「一ミリの雨でも、屋根全体ならこれだけ集まるの?」
「全部は取れないけれど、畑を助ける量にはなるわ。ただし、ためる場所と流す高さを間違えたら役に立たない」
それから三日間、二人は学校菜園と高齢者農園で、一回の水やりに使う量も測った。高齢者農園だけが浪費していたのではなく、どちらも作物を枯らさないぎりぎりまで節水していた。
「ごめんなさい。ぼく、見ただけで決めつけた」
「分かったなら、次は数字で話しましょう」
太陽の降水記録と、礼子が引いた設備図が一枚の机の上でつながった。雨水をいったん沈殿させ、二本の配管で双方の畑へ送る共同タンク案である。佐伯先生も資料を確認し、学校と地域の合同会議へ提出する手続きを整えた。
七月中旬の夕方、小学校の会議室で合同会議が開かれた。太陽は予想される貯水量を説明し、礼子はタンクと配管の図を示した。
説明を聞き終えた校長は、すぐにはうなずかなかった。「屋根にはほこりや鳥のふんがつきます。開いた水には蚊が発生するかもしれない。児童が口にする野菜へ使い、事故が起きたとき、誰が責任を負うのですか」
佐伯先生も厳しい顔で資料をめくった。「管理する人も、検査の方法も、用途の区別も決まっていません。学校の衛生基準を無視することはできないわ」
計画は却下された。太陽は椅子を鳴らして立ち上がった。「衛生とか責任とか、畑をつぶすための口実じゃないですか!」
返事を待たず、太陽は会議室を飛び出した。夕暮れの雨どい脇まで来ると、乾きかけた土を靴先で蹴った。
追ってきた礼子は、文太のリードを短く持って立ち止まった。「校長先生たちの心配は、口実ではないわ。降り始めの雨には、屋根の汚れがたくさん混じる。開放したタンクなら虫も入るし、子どもが落ちる事故だって起きる」
「でも、そんなことばかり言っていたら、何もできないよ」
「見た目が透明でも、安全とは限らないの」礼子の声は静かだった。「私は設備技師だった。便利な仕組みを作るだけでなく、起こり得る事故を防ぐのが仕事だった。危ないと分かっている計画に、私は判を押せない」
太陽は、礼子も反対側へ回ったように感じた。けれど礼子の手には、会議で使った配管図が握られていた。捨てるためではなく、直すために持ってきたのだ。
「ぼく、安全の話をする大人は、みんな逃げてるんだと思ってた」太陽はうつむいた。「ごめんなさい。直せるところを教えてください」
翌日、二人は礼子の作業小屋で図面を作り直した。降り始めの汚れた水を排水する仕切り、泥を沈める槽、密閉蓋と施錠、水質検査を追加した。
雨水はまず花壇と通路の散水に使い、基準を満たした場合だけ、食用畑の土へ葉や実に触れない方法で流す。収穫前は水道水に切り替え、児童側は佐伯先生、地域側は礼子が記録を確認することにした。
「慎重って、止めることじゃないんだね」
「止まらずに済む道を作ることも、慎重さよ」
文太が机の下から顔を出し、図面の端に鼻をつけた。そこには、二つの畑へ同じ雨を送る二本の線が引かれていた。
改訂案を受け取った校長は、七月下旬の一週間に限り、小型の密閉タンクで実証することを認めた。体育倉庫裏に借りたタンクが置かれ、二本のホースには用途を示す札が取りつけられた。
児童と高齢者は交代で、蓋と排水口、漏れの有無、使用量、濁り、簡易水質検査の結果を記録した。佐伯先生と礼子が毎日署名し、太陽は数字を表にまとめた。文太も点検のたびについてきたが、密閉蓋には鼻先も入らなかった。
雨水は花壇や通路へ優先して使われ、検査で定めた基準を満たした分だけが、食用作物の根元へ送られた。水道水は仕上げの灌水に回された。一週間、蚊も漏水も発生せず、水道使用量はそれまでの半分以下になった。
再審議の日、太陽は言い争う代わりに記録表を差し出した。礼子は点検手順と責任分担を説明し、佐伯先生は学校側で継続して監督できると報告した。
校長は表と図面を見比べ、ようやく顔を上げた。「安全性と節水効果が確認できました。共同タンクの本設置を承認します」
学校と地域は費用と作業を分担し、夏休み前に共同タンクを完成させた。水道使用量が定められた基準を下回ったため、校長は菜園の舗装計画を撤回した。
給食の日、衛生手順に沿って育てたナスとトマトが皿に並んだ。太陽は一口ずつ味わいながら、窓の向こうの畑を見た。あの土は、自分が卒業したあとも後輩たちの手を受け止める。
放課後、太陽と礼子は完成したタンクの前に増設図を広げた。二本の配管の間では、文太が水皿に顔を突っ込み、勢いよく水を飲んでいた。
「次の雨期には、もう一つ増やせるかな」
「あなたの記録が続けば、必要な大きさをもっと正確に出せるわ」
太陽は、二つの畑へ伸びる管を見た。友情とは、足りないものを半分ずつ我慢して譲ることだけではない。違う知恵を持ち寄れば、分けられるものそのものを増やせるのだ。
校舎の屋根に、次の雨を待つ風が渡った。太陽と礼子は文太の水皿を挟んで肩を並べ、まだ白い増設図の続きを描き始めた。
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