十二月下旬の土曜日、開店前の商業施設には、暖房の温風とクリスマスソングが早くも巡っていた。写真館の冬季限定セットでは、人工雪をまとった白樺と電気暖炉が、外の寒さより明るい冬を作っている。森下若菜は暖炉の角度を直し、見本写真と同じ位置に白いベンチを置いた。
受付に戻ると、予約票の一番上にある赤い印を確かめた。高橋家、冬季プレミアムプラン、仮契約。今日これを確定できれば、正社員登用の審査に必要な契約件数へ届く。
「規定の家族カットは必ず押さえて。セット変更や一枚仕上げでは、審査実績にならないからね」
佐伯店長はタブレットを確認しながら言った。若菜は「はい」と答え、見本写真の中で肩を寄せる家族を見た。立つ位置も顔の向きも整えれば、緊張していた客も最後には笑う。それが撮影者の腕だと、若菜は信じていた。
午前十時、絵美と蒼太が、小さなキャリーバッグを抱えて来店した。中から顔を出した茶色いチワワはムギという名で、蒼太の指先に鼻を寄せている。少し遅れて俊介が別の通路から現れると、絵美は会釈だけをし、蒼太は小さく手を上げた。
受付票を照合した若菜は、三人が離婚後初めてそろったのだと知った。それでも冬景色セットへ案内し、絵美と俊介を暖炉の前に立たせる。二人の間へ蒼太を入れれば、見本どおりの構図になるはずだった。
「お父さま、もう半歩だけお母さまのほうへ。お母さまも、肩を少し内側へお願いします」
俊介が動くと、絵美もほとんど同じだけ横へずれた。二人の間には、肩ひとつ分の空白が残る。若菜が蒼太を中央へ呼んでも、蒼太はセットの端に置かれた椅子から動かなかった。
「蒼太くんが、この撮影をお願いしたんだよね。どんな写真にしたかったのかな」
蒼太はムギのキャリーバッグを見下ろしたまま、「一枚あればいい」と答えた。絵美も俊介も、その言葉の続きを促さない。若菜は家族の気まずさを、撮影前によくある緊張の一種だと考えた。
「では、ムギちゃんにも入ってもらいましょう。きっと雰囲気が明るくなりますよ」
若菜は赤いケープを取り出した。白い縁取りと小さな金色の鈴が付いた、冬季プラン用の衣装だった。ムギの首元で鈴が鳴ると、蒼太が眉を寄せたが、若菜は照明を一段強くし、全員へ笑顔を求めた。
「こちらを見てください。三、二――」
シャッターを切る直前、ムギが若菜の腕からすり抜けた。赤いケープを揺らして人工雪を横切り、蒼太の椅子の下へ潜り込む。鈴の音が止まるまで、ムギの細い体は震えていた。
「驚いちゃったね。もう一度だけ頑張ろうか」
若菜はムギを抱き戻し、ベンチの上に座らせた。だが照明が光ると、ムギはまた床へ飛び降り、同じ椅子の下へ走った。三度目にはケープが片脚から外れ、鈴を引きずるように鳴らしながら蒼太の足元へ戻った。
絵美の笑顔は口元だけになり、俊介は暖炉の前で両手を持て余していた。蒼太はムギを隠すように両足を閉じる。演出を足すほど、見本写真から遠ざかっていくことに、若菜は焦った。
三度目に逃げたムギを若菜が追おうとすると、蒼太が先に椅子を降りた。人工雪の散った床へ座り込み、震えるムギを胸に抱く。鈴を手で押さえると、ムギはようやく蒼太の腕の中で鼻先を伏せた。
「蒼太くん、ムギちゃんを抱いたままでいいから、椅子に戻ろうか。お父さんとお母さんの真ん中なら、きれいに撮れるよ」
「二人を、夫婦みたいにしたいんじゃない」
蒼太は床を見たまま言った。静かな声だったが、電気暖炉の作り物の炎が揺れる音まで消えたように感じられた。
「お父さんは別の家にいるし、ムギはお母さんの家にいる。これから、もっと別々になるかもしれない。でも、みんなとつながってたって、忘れないための写真が欲しい。一緒に住んでるみたいな写真じゃなくていい」
絵美と俊介は、そこで初めて互いではなく蒼太を見た。絵美の手がわずかに上がり、しかし蒼太まで届かないまま下りる。俊介も近づかなかったが、その場から目をそらさなかった。
若菜はカメラの背面に残った試し撮りを見た。肩を寄せさせた両親、中央へ置こうとした蒼太、赤い衣装で震えるムギ。全員が画面には入っているのに、誰の望んだ一枚でもなかった。
昼前、若菜はセット脇の機材スペースへムギを連れていき、鈴付きのケープを外した。強い照明のスイッチも切る。急に薄暗くなった冬景色の中で、人工雪だけが白々と光っていた。
「暖炉の前でなくてもいいです。皆さんが無理なくいられる場所で撮り直させてください。絵美さんと俊介さんも、近くに立たなくて構いません」
若菜は写真館の奥にある大窓を示した。蒼太がムギを抱いたままそちらを見ると、ムギも耳を起こした。絵美と俊介は離れた位置から、それぞれうなずいた。
「森下さん、ちょっと」
佐伯店長が機材スペースへ若菜を呼んだ。声は抑えていたが、予約票の高額プランを指す指先は硬かった。
「冬景色セットも規定構図も使わないなら、プレミアムプランは成立しない。一枚仕上げへ変更したら、今回の契約は登用審査の実績から外れるよ。目標件数まで、あと一件なんでしょう」
大窓のそばでは、蒼太がムギの首元を撫でていた。少し離れて立つ両親は、もう夫婦には見えない。けれど、その距離を隠した写真を渡せば、蒼太が残したいものまで消してしまうと若菜にはわかった。
「高額プランは取り消します。このご家族が欲しい写真を撮ります」
若菜は予約票を開き、プレミアムプランの選択を自分の指で外した。確定を押すと、審査対象を示していた赤い印が画面から消えた。佐伯店長は何も言わずに若菜を見たが、やがて通路を空けた。
雲間から光が差し始めた正午前、若菜は家族を大窓のそばへ案内した。人工雪も暖炉もない、灰色の冬空が見えるだけの場所だった。照明を足さずに露出を合わせると、窓から入る柔らかな光が蒼太とムギの輪郭を包んだ。
蒼太は床に座り、膝の上でムギを抱いた。絵美は蒼太の近くの椅子に腰掛け、俊介は少し離れた窓枠にもたれる。三人の間隔は不揃いだったが、誰も位置を直そうとはしなかった。
「カメラを見なくても大丈夫です。そのままでいてください」
若菜はファインダーをのぞいた。蒼太がムギの耳を撫でると、絵美の表情がほどける。俊介も窓枠に寄りかかったまま、その手元を見ていた。
ムギが安心したように目を細め、蒼太が小さく笑った。その瞬間、両親の視線が別々の場所から蒼太へ重なった。若菜はシャッターを切った。
画面の中で、絵美と俊介の間には確かな距離があった。全員の顔が正面を向いているわけでもなく、冬季プランの見本には使えない。それでも誰もそこから逃げようとしておらず、蒼太の腕の中でムギの体だけが静かに緩んでいた。
正午、写真確認カウンターに撮影画像を並べた。最初の写真には豪華な冬景色があり、最後の写真には窓と薄い光しかない。蒼太は迷わず、窓辺の一枚を指さした。
「これがいい」
「私も、これがいいです」
絵美が言うと、俊介も同じ写真を選んだ。二人は顔を見合わせなかったが、選び直すこともしなかった。離婚後初めてそろった家族が、初めて同じ一枚を欲しいと言った。
若菜は注文票を通常の一枚仕上げで確定した。契約額は下がり、正社員登用の目標件数も足りないままだった。背後に佐伯店長の気配があったが、確定ボタンを押す指はもう止まらなかった。
家族が店を出るとき、三人は並ばなかった。蒼太がムギを抱いて少し先を歩き、絵美がその隣へ寄る。別の方向へ帰る俊介も、足を止めてムギの頭を一度撫でた。
ムギは鈴のない首を伸ばし、その指先を嗅いだ。続いて絵美もムギの耳を撫で、蒼太は二人の間で笑った。やがて三人はそれぞれの距離へ戻り、明るい商業施設の人波に混じっていった。
若菜はカウンターに残った写真をもう一度見た。思い出に必要なのは、全員を同じ形へ整えることではない。離れたままでも、それぞれが納得してそこにいた時間を、一枚の中へ残すことなのだと思った。
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