地図にない迂回路

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本撮影の三日前、陸は旧街道入口の神社前でカメラを構えた。石柱の脇には「この先、崩落のため通行不可」という掲示があり、その下の矢印は神社裏を指していた。板には小さく「工事期間中・徒歩迂回路」と書かれている。

「自治体と地権者で話をつけて、工事の間だけ開けてる道だ」

閉鎖商店街の管理人だという坂井清が、日に焼けた指で矢印をなぞった。反対側の入口は獣害防止柵にしか見えず、南京錠も掛かっているため、通るなら自分から鍵を借りる必要があるという。

真鍋は掲示を一瞥し、カメラの前に立った。

「警告も鍵も見せたら、初心者向けの企画にならない。分岐ごと画角から外そう。絶景ルートを売るんだから」

陸は契約更新を思った。最近は再生数が落ち、ムギの愛らしさを前面に出した回でしか数字が伸びない。ここで逆らえば、次の案件はないかもしれなかった。

陸はトイプードルのムギを抱いて分岐に背を向け、予告動画を撮った。

「この脇道は私有地につき進入禁止です。旧街道をまっすぐ進みましょう」

言い終えて録画を止めると、背後の矢印が急に大きくなったように感じた。それでも陸は撮り直さず、その日のうちに動画を公開した。

本撮影当日の朝、陸は神社前で明るく手を振った。

「初心者でも歩ける絶景ルートを、ムギと一日で踏破します!」

ムギが足元で跳ねる。陸は神社裏の分岐へカメラが向かないよう体をずらし、崩落を知らせる掲示にも触れずに歩き始めた。

真鍋の計画では、崩落の手前まで撮影したあと車で反対側へ回り、続きを歩いたように編集することになっていた。切れ目のない一日踏破は、最初から画面の中にしか存在しなかった。

昼前、峠に着くと、真鍋は迫力のある映像が欲しいと言ってドローンを飛ばした。機体が低く迫り、ローター音が石垣に反響する。ムギは身をすくめ、次の瞬間、陸の手からリードを振り切った。

「ムギ!」

茶色い小さな体は、撮影予定の終点を越えて崩落方向へ走っていった。陸はカメラを地面に置き、そのあとを追った。

峠を下ったところで、斜面から小石がこぼれ始めた。ムギが岩の隙間を抜け、陸も身を横にして続く。その直後、背後で土砂が崩れ、拳ほどの石が道を打った。

戻るのは危険だった。陸は呼び続けながら先へ進み、昼過ぎ、シャッターの下りた商店街にたどり着いた。色あせた軒先で、ムギが三人の旅行者に囲まれて震えていた。

「この犬、あなたのですか」

新井美咲がムギのリードを握っていた。そばでは藤田修が腫れた足首を押さえ、星野健が前後の道を見比べている。

三人は前方の既知の崩落で進めず、引き返そうとしたところで後方の落石に遭ったという。藤田はその際に足をひねり、岩の隙間を越えて戻るのは難しい。携帯電話は三人とも圏外だった。

「神社の裏に道がありました。でも、あなたの動画で私有地だって言っていましたよね」

星野が端末を取り出した。保存されていた予告動画の中で、陸は笑顔で「進入禁止です」と断言している。

新井が陸を見た。

「あの説明は、正しかったんですか」

陸は答えられず、ムギを抱き上げた。小さな心臓の速い鼓動が、腕を通して伝わってきた。

一行は落石地点まで戻り、岩の向こうにいる真鍋を撮影用無線で呼んだ。真鍋は電波の届く峠から行政へ通報したが、前後の崩落と落石のため、救助隊の到着には時間がかかると伝えた。

「陸、おまえだけなら隙間を戻れるだろ。三人にはそこで待ってもらえ。こっちは車で反対側へ回る。夕景を逃したら完成しないぞ」

「藤田さんはけがをしてる」

「救助は行政の仕事だ。俺たちは撮影を終わらせる」

新井が無線を持つ陸に問い直した。

「迂回路があるんですか。あの脇道は、本当に私有地なんですか」

陸は目を閉じた。黙れば、まだ編集で隠せる。しかし三人がここにいるのは、隠した結果だった。

「あの道は、公認の徒歩迂回路です。工事の間だけ通れます。こっち側にも入口があります。ただ、門には鍵が掛かっていて、管理人から借りないと通れません」

無線の向こうで真鍋が名を呼んだが、陸は遮った。

「夕景は撮りません。俺が三人を迂回路へ案内します」

午後三時ごろ、陸たちは閉鎖商店街へ引き返した。裏手を捜すと、金網の門が草の間に埋もれていた。獣害防止柵にしか見えず、太い南京錠が掛かっている。

陸はシャッターに残る表札を一軒ずつ確かめた。やがて「坂井商店」と読める薄い文字を見つけ、戸をたたくと、旧店舗の奥から坂井が出てきた。

陸は旅行者を連れてきた経緯と、自分が予告動画で嘘をついたことを話した。坂井の顔から、事前取材のときの穏やかさが消えた。

「道を隠せば、知らない人は危ない方へ行く。景色をきれいに見せるのと、逃げ道を消すのは違うぞ」

「はい。俺が選択肢を奪いました。だから、戻したいんです」

坂井はしばらく陸を見たあと、壁から鍵束を外した。さらに引き出しから、折り畳まれた紙地図を取り出す。そこには観光地図にない線と、増水しやすい沢、滑りやすい石段、バス停まで七十分という注意が手書きされていた。

「近道じゃない。安全を確認しながら歩く道だ。そこを間違えるな」

午後四時、坂井が門を開けた。星野が藤田の肩を支え、新井が藤田の荷物を持つ。坂井は足場の悪い区間まで同行し、陸は紙地図を手に先頭へ立った。

ムギは再び音に驚いて走らないよう、陸が胸に抱いた。分岐のたびに立ち止まり、現在地と次の危険箇所を声に出して確かめる。沢沿いはぬかるみ、石段は急で、藤田の足では何度も休憩が必要だった。

「これを初心者向けとは言えないですね」

新井の言葉に、陸はうなずいた。

「言えません。七十分というのも目安です。俺たちは、もっとかかります」

一行が神社裏へ出たとき、歩き始めて八十分が過ぎていた。空には夕景の名残があったが、撮影時刻はとうに逃している。それでも全員で路線バスの停留所へ着き、電波が戻ると、陸は救助側へ無事を報告した。

続いて真鍋へ電話をかけた。

「撮った映像は完成させません。公開もしません」

真鍋は契約違反だと言った。陸はムギを抱き直し、もう一度、公開しないと答えた。

その夜、帰宅した陸は予告動画を削除した。しかし削除画面を閉じても、すでに保存した星野の端末が思い浮かんだ。消せば終わるわけではない。嘘を見た人に、正しい判断材料が届くとは限らなかった。

翌日、陸は顔を出して訂正動画を撮った。警告掲示と分岐を意図的に画角から外し、公認の迂回路を私有地だと説明したことを、自分の言葉で認めた。

坂井と旅行者三人に事実関係を確認してもらい、既知の崩落、新たな落石、見落としやすい神社裏の分岐を地図上に示した。鍵の借り方、沢と石段の状態、実際には八十分かかったことも、確認した時刻とともに載せた。

動画を公開した直後、真鍋から契約終了の連絡が来た。陸は受け取っていた契約金を返還した。再生数の表示は怖くて見られなかったが、訂正欄への質問には一つずつ根拠を確認して答えた。

二週間後、陸はムギを連れて坂井の旧店舗を訪れた。机には紙地図が広げられ、画面の向こうには新井、藤田、星野がいる。

陸たちは旧街道の安全情報ページを立ち上げた。住民や旅行者が道路状況を投稿できるが、投稿されたままでは公開しない。現地住民の確認か自治体資料と照合し、確認日、通行条件、迂回時間、鍵の受け渡し方法を必ず併記する仕組みにした。

新井たちは旅行者の目線で分岐の見落としやすさを点検し、坂井たちは工事や天候による変化を知らせる。陸は膝の上のムギを撫でながら、最初の更新を公開した。

画面の隅には再生数の代わりに、「最終確認日 本日」と表示されていた。陸はその日付をもう一度確かめ、次の確認予定を入力した。旅へ誘う言葉より先に、旅人が自分で選ぶための材料を整えることが、いまの陸の仕事だった。

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